つい先程まで伊月が口を付けていた、ストロー。
 薄い唇がそれをくわえたあの瞬間が、脳内にフラッシュバックする。 何故かスローモーションの様に瞳に焼き付いた、時間にしてほんの一瞬のあの出来事が。


 伊月の、唇が。


(やべぇ)


 じわりと、体温が上がる。
 部活で先輩たちとペットボトルを回し飲みしたりだとかは、男同士ならごく普通の、当たり前の事だ。 現に伊月だって、自分から渡されたバニラシェイクを何のためらいも無く口にしたではないか。 そう、こんな事はごく普通の、当たり前の事だ。当たり前の事なのだ。
 ちらりと伊月の方を見やると、彼は「この塩気がたまに無性に恋しくなるんだよなぁ」などとのんびり呟きながら、引き続きポテトを摘んでいる。 先日は黄瀬の発言にいちいちあれだけ動揺していたのにも関わらず、これだけ涼しい顔をしているという事は、 やはり彼の方は、そんな事は全く思いもしていないという事だ。


 …ならば。


「…ねぇ、伊月さん」
「ん?」
「………これって…間接キス、っスよね?」
「は?」

 ぽかんとしている伊月に向かって、「だから、これ」…と、もう一度バニラシェイクのカップを振ってみせた。 一瞬おいて黄瀬の言わんとしている事を理解したらしい彼の、その白い頬がみるみる内に真っ赤に染まって行く。

「えぇっ!?…え、ちょ、何言ってんのお前…!?何でそんな…みんなで回し飲みとかやるだろ普通!?何でそうなった!?」
「いや、何でって言われても…俺が飲んでたシェイク伊月さんが飲んで、あっこれ間接キスなんじゃね?…って思っただけで」
「だから、男同士で何でそういう発想が出て来んだっつってんだよ…!…あーもう、飲んじゃったじゃねぇか俺…!…何なんだよお前、ホントに…!」
「えっ何もそこまで絶望しなくても…!ちょ、何かショックっスよ…!冗談っスよ!冗談だから!!」

 前回の様なリアクションを期待していたのにも関わらず、伊月は予想外に絶望感に満ち満ちた苦悶の表情で頭を抱えてしまった。 …泣きたいのは、こっちだ。ちょっとした悪戯心のつもりだったのに、まさかここまで拒絶されるだなんて。

「………今日は」
「え?」
「…今日は絶対動揺なんかしてやるもんかって、こっちはそう固く誓って来てんのに…!」

 聞いた事も無い、地を這う様なおどろおどろしい低音でそう呟いた伊月は、伏せていた顔をバッと上げた。 その顔は…やはり、真っ赤になっていて。黒い瞳が、揺れる。

「俺が絶望してんのは、お前の冗談が冗談だって分かってんのに、こんなに動揺してる自分自身にだっつーの…!ったく…!」
「………は?」
「別に、お前に対してどうこうっていうんじゃねぇから!」

 何だか良く分からないが、要するに…前回の黄瀬との遭遇で散々褒め殺されてテンパったのが余程悔しかった、と。 そういう解釈で良いのだろうか。 とりあえず自身が拒絶された訳では無さそうだという事は何となく分かり、黄瀬は密かに安堵する。
 だがそう考えてみると、今の伊月のリアクションも前回以上に可愛らしく見えて来るのだから、不思議なものだ。 年上のクールビューティーをここまで動揺させてちょっと楽しくなっているだなんて、 自分は実は相当良い趣味をしているのではないだろうかとは思うが。

「伊月さん」
「…何だよ」
「じゃ俺…これ、もう飲まない方がいいっスかね?」

 あえてにっこりと完璧な笑顔を作りながら、伊月に向けて再度バニラシェイクを提示してみせる。 …こんな更に追い討ちを掛ける様な真似をしたら、そろそろマジギレされるかもしれないが。 だがこうなったら、むしろ一発くらい殴られようが構うものか。

「は?…何でだよ、飲めばいいじゃんお前のなんだから」
「いや、だって…」
「だって、何」
「…まぁ、伊月さんがいいならいいっスけど」
「だから何が………って、あああ黄瀬!!!」

 どうやら黄瀬の真意を把握したらしい伊月が、柄にも無く声を荒げる。 だがそれを無視して、黄瀬は伊月を笑顔で見据えたまま、バニラシェイクのストローをくわえた。 彼が口を付けていたそれを、見せ付ける様に、わざとゆっくりと。


 あの瞬間が、もう一度フラッシュバックする。


「………あ〜、甘いっスわ」


 胸の奥に、小さな疼きを感じる。更にじわりと上がる、体温。


「いや〜美味いっスね、バニラシェイク☆」
「…黄瀬うっさい黙れもうお前喋るなそろそろ本気で殴るぞ」
「えええええ!?ちょっ伊月さんキャラ壊れてるから!もう冗談っスよ…!マジ冗談なんで許して下さいっス…!!」

 ある程度覚悟はしていたのだが、実際に絶対零度の凍りつく様な瞳と声音を目の当たりにすると、 なまじ顔が整っているせいか、余りの有無を言わせぬド迫力に身の毛がよだつ。
 一瞬で黄瀬に手のひらを返させた伊月は、そんな彼をじとりと見つめると「……………ばーか」と呟いて、大きな溜め息をついた。

「…つかタチ悪過ぎんだろ、お前」
「い、いや…何か伊月さんのリアクションが可愛くて、つい…。すんませんっス、悪ノリし過ぎました…」
「か、可愛いって何だよ…!?俺、男なんだけど!?………そりゃ、子供の頃は確かによく女の子に間違われてたけど…!」
「え、マジで!?…う、うわあでもそれ分かる気がするっス…!想像しただけでもうっ…!」
「想像すんなバカ!!…あーもう、お前と居ると何か調子狂うんだよ…」

 さらさらの髪をガシガシと掻き回しながら、伊月が唸る。
 方向性はどうであれ、伊月は間違い無く自分をバリバリに意識している。それだけは、確実だろう。 女の子たちからのそんな意識には慣れっこであったし、特に今更どうとも思わないのだが、 何故か彼から向けられるそれには背筋がぞくぞくとして、思わず口角が上がってしまいそうになる。

 こんな感情は、初めてだった。もっと自分を見てもらいたい。意識してもらいたい。 彼の内側に、もっと深く潜り込んでしまいたい。そして…本当は、もっと笑ってもらいたい。 あの綺麗な笑顔で、目の前で。この自分だけの為に。





 友達、ではない。
 先輩…と言えば先輩ではあるが、直属の先輩では無い。

 黄瀬の中で伊月俊という存在は、何処にもカテゴライズし難いそんなある意味特殊な立ち位置で、 それをどう定義付ければいいのか、答えが分からずにいた。だが曖昧で漠然としたその問いに、答えを出すとしたら、それは。


(まぁ…やっぱそういう事、っスよね…)





「…伊月さん、やっぱ怒ってるっスよね…?」
「………さっきは『お前に対してどうこうは無い』っつったけどさ」
「…はい」
「やっぱ今日は許してやんない」
「えええ…!?…あ、まぁそりゃそうっスよね…ホントすいませんっした…!」

 いくら身から出た錆とはいえ、ようやく結論らしきものが出た直後にこんな発言を賜ってしまい、 さすがの黄瀬も心の底からの謝罪の言葉を口にし、深々と頭を下げる。
 それにしても確かに全面的に自分が悪いとはいえ、まさかここまでマイナスからのスタートになろうとは。 これまでの人生がいかに恵まれ過ぎていたかを、改めてしみじみと噛み締めてしまう。 全く、思い通りにならない事なんて、探せばバスケ以外にもまだまだあるではないか。

「………バニラシェイク」
「え?」
「今度バニラシェイク奢れ、それでチャラにしてやる」

 黄瀬の方を見ずに、アイスコーヒーのストローで中身を掻き回しながら、伊月がぼそりとそう呟いた。 ファストフード店特有の無駄に入れられた多めの氷が、その動きに合わせてざらざらと音を立てる。
 本気で伊月を怒らせたと、半ば今後の苦難の道のりを覚悟していた黄瀬だったので、 彼の言葉の意味を理解するのに数秒を要した。そして、「え」…と、反射的に声を漏らす。

「え、えっと…つまりそれって…」
「…”それ”も何も、そのまんまの意味だろ」
「………また、会ってくれるって事っスか…!?」
「っ…!?ったりめーだ、会わないでどうやってシェイク奢るつもりでいんだよ…!」

 見るからに不機嫌そうな表情でバッと顔を上げた伊月が、黄瀬と目が合った瞬間、突然ブフッと噴き出した。 手にしていたアイスコーヒーのカップをテーブルにわざわざ置いて、そのまま口元に手をやって声を殺して笑い転げている。

「ちょ、あの、伊月さん…?」
「ぶっ、くくく………お前、今の自分の顔鏡で見てみろって…!」
「え?」
「ひっどい顔してんぞ、このイケメンモデルが」

 「いー気味」と言ってニッと笑うと、伊月は改めてアイスコーヒーを手にして口に運ぶ。 確かに返り討ちで受けたダメージはかなり甚大だったが、わざわざ指摘されるだなんて、そんなに酷い顔をしていたのだろうか。

「………そりゃあんな冷たい目で見られりゃ、酷い顔にもなるっスよ…。マジでちょっと命の危険感じたっス…」
「自業自得だろ、全面的にお前が悪い」
「いやだって、伊月さんのリアクションが可愛過ぎるから…!」
「だから可愛くねぇって言ってんだろ…!…あんまお痛が過ぎると、日向経由で笠松さんに言いつけるぞ」
「なっ何スかその主将ネットワーク!?ちょ、それだけはマジ勘弁っス…!!それだけはマジで…!!」

 男気溢れる自校の主将の強烈な蹴りの痛みを思い出し、黄瀬は「申し訳ございませんでした…!」と、 テーブルに頭を擦り付けんばかりの勢いで謝り倒す。
 その姿勢でちらりと目だけ上げると、伊月は顎を少し上げた上から目線でそんな黄瀬を見下ろしていた。 目が合うと、彼はそのまま口角を上げて勝ち誇った様な笑みを浮かべる。 整った顔立ちが冷徹な雰囲気を助長して、まるで下僕をいたぶる女王様だ。


「………分かればよろしい」

 ドヤ顔でそう言い放った伊月だったが、突然、その瞳が大きく見開かれる。 彼が何かに気付いたかの様にハッと息を呑んだのを、黄瀬が何事かときょとんと見つめた、その時。



「……………チキンは…」
「え?」
「チキンはちきんと温めないと!………き、キタコレえええ…!!」



 黄瀬の前にあるチキンナゲットを穴が開く程凝視しながらわなわなと震えていた伊月は、 突然ガバッと後ろを振り返ると、椅子の背に引っ掛けてあったバッグの中から物凄い勢いでメモ帳とペンを取り出し、何やら書きつけ出した。 そのメモ帳が、前回会った時も目にした”ネタ帳”である事を思い出す。…嫌な予感がする。とても嫌な、予感が。

「あ、あの、伊月さん…?」
「……………えっ何、今何か言ったか!?」
「いや…それ、何スか”ネタ帳”って…」
「あぁこれ?俺のライフワーク」
「………は?」

 きょとんを通り越して最早呆然としている黄瀬の前に、伊月が先程以上の、 もうこれ以上は無いであろう更なるドヤ顔でその”ネタ帳”を差し出して来る。
 反射的にそれを受け取って目を落としてしまった黄瀬は、思わず「ひっ」と声にならない声を上げて、絶句してしまった。 丁寧な、いかにも伊月らしい几帳面そうな字でびっしりと書き込まれていたそれは…どう考えても小学生レベルの、大量のダジャレで。

「ね、”ネタ帳”って、ダジャレのネタ帳だったんスね…この前もちょっと気になってたんスけど…」
「えっ何、黄瀬お前ダジャレに興味あんの!?」
「うえっ!?…い、いや別に興味っつーか…」
「何だよ言ってくれりゃいつでも見せてやったのに!…なぁこの辺とかどうよ?最近の自信作なんだけど」
「ど、どうよって言われても…つか伊月さんもしかしてさっきのダジャレ、今までずっと考えてたんスか…?」
「いや、ずっとじゃないよ?何か『やっと黄瀬に勝てたー!!』って思って、ふっと気が抜けたら急に降りて来てさ…あ、もしかしたらダジャレの神様が勝利のご褒美くれたのかもな!」

 「何スかその愉快な神様は…」と、いい加減脱力しかけたのをグッと堪え、 黄瀬はモデルとしてこれまで鍛えて来た表情筋の全てを使って、伊月の満面の笑みに全力で笑顔を返す。
 彼をただのお笑い好きだと思っていた、つい先程までの自分の読みの甘っちょろさを、黄瀬は激しく痛感していた。 本当に、世の中にはまだまだ自分の知らない事が山程あるものだ。 …まさかこんな顔も頭も運動神経も良くて気配りも完璧なチート美形に、こんな残念な趣味があっただなんて。


(………だけどまぁ、やっとちゃんと笑ってくれたし…こんくらい別にいいっスかね)


「あ…なぁ黄瀬これ見て、最初にお前んトコと練習試合した日に思い付いたんだけど」
「どれっスか?…『このステーキ、ステキ』?………いや〜これは…」
「えっダメか!?…じゃあこっちはどうだ!」

 会心のダジャレを思いついた事で一気に機嫌を直した伊月のその無邪気な笑顔が、 ここまで黄瀬が見て来た彼のそれの中で一番の、思わず見惚れてしまう程に綺麗なもので。 最初は半ば表情筋が引きつっていた黄瀬も、楽しそうにダジャレを披露する彼を見ている内に、 いつしか普通に笑って会話している自分に気付く。

 もっと、もっと笑ってもらいたい。この綺麗な笑顔で、目の前で。この自分だけの為に。 声を上げて笑いながら、黄瀬は置き去られていたバニラシェイクに手を伸ばし、一口飲む。



 これはきっと錯覚なのだろうが…最初に飲んだ時よりも今の方が、甘く感じるのは何故だろう。













V A N I L L A  K I S S




出会っちゃった黄瀬と伊月がマジバなう、後編です。 ギアチェンジ利かせ過ぎた結果、ヘタレワンコ×クールビューティーが粘着質ドS×ツンデレ女王様にクラスチェンジしました。 しかもなかなか電波掛かってます。って何だよそれ緑間かよ!! 独自路線を追求し過ぎた結果キャラが壊れるのって、よくある事ですよね…?ですよね…?

しかしktkrは完全にテロでしたね。アレ聴いた後だと、ダジャレにキャッキャする伊月書かなきゃいけない様な、謎の強迫観念に駆られますからね。 まぁその結果がこれだけどね!とりあえず、前2作の伏線はこれで大体回収出来た訳ですが…こっからどうしましょうかねぇ…。



pixiv初出:2012/09/24
サイト再録:2012/11/11