|
前を歩く男の、細身のジーンズに包まれた長い脚が砂を踏み締める様子を見つめながら、 ただ黙ってその後ろに付いて歩いていた。 ふと顔を上げると、海から吹き付ける潮風が彼の茶色の髪を乱して行くのが目に入る。 アドレスを交換した事すら忘れかけていた他校の上級生…春日からメールが来たのは本当に突然で、 『久し振り〜。暇ならちょっと遊ばない?』とだけ書かれたそれに、 何故あっさりと応じてこんな所まで来てしまったのか、正直良くは分からない。 提案された日はたまたま練習も何も無く、特に断る理由も思いつかなかったのだ。 それにただ何となく独りでは居たくなくて、誰でもいいから傍に居て欲しい様な、そんな気もしていた。 …それも出来れば普段余り距離が近くはなくて、容易にこちらに踏み込んでは来ないであろう相手に、だ。 全くもって、都合が良過ぎる。 誰かと居たいと思いながらも、そんな全く相反する様な思いもあるというのは何とも勝手だと自分でも思うが、 少なくとも、普段誰よりも傍に居たいと願う相手に一番会いたくない気分だったのは、確かだった。 だから、春日の目的地が海だというのは、ありがたかった。 遠くに行きたかったのだ。出来るだけ、遠くへ。 地元に居ると、目に映る全てのものが触媒となって、”彼”を連想してしまう。思い出してしまう。 そんな状態でそのままそこに居続けるというのは、ほとんど拷問に近かった。 とにかく一時的にでも、出来る限り距離を離しておきたかったのだ。 物理的にそうする事で、今一度客観的に自分を見つめ直したい。…そう、思ったのだ。 海へ向かう電車の中で、『何で海なんですか?』と問い掛けた伊月に、 春日は微笑んで『ん〜、何となくね〜』と曖昧な答えを返しただけだったが、 もしかしたら彼も、自分と似た様な思いを少なからず持っているのかもしれない、と思う。 だが仮にそうで無かったとしても、普段ほとんど絡みの無い自分をわざわざこんな遠くまで誘い出すなんて、 余程の理由が無い限りはあり得ないではないか。 これまで試合会場で何度か顔を合わせてはいたのだが、 ”同じポジションだから”という理由で、何となくアドレスの交換に応じてしまっていた相手。 そう言えば、何故あの時この男は自分なんかとそんな事をしようと思ったのか。 強豪校の名の知れた選手ならともかく、新設校で中学時代も全く無名だった自分の、何にどう興味を持ったのか。 今更ながら、それが少し気になった。 それとも…やはり、ただのほんの気まぐれだったのだろうかか。 前を歩く春日が、突然後ろを振り返った。 茶色の髪をかき上げながら、笑いかけて来る。 「伊月くん、疲れてない?」 「いえ、俺は別に…春日さんこそ、疲れてないんですか?」 「う〜ん、まぁ大丈夫だけど結構歩いたよね〜。ちょっとその辺座ろっか?」 「あ、はい」 促されて、浜辺に打ち上げられていた大きな流木に並んで腰を下ろした。 遠くを見つめている春日の目線は、伊月よりも少し高い位置にある。 その高さが”彼”と同じくらいである事にふと気付いてしまい、そっと視線を外してしまった。 春日に倣って、伊月も遠い水平線に目をやる。 「いや〜たまには遠出もいいね〜」 「そうですね、海とか久し振りに来ましたよ」 「やっぱ何も考えたくない時は、海に限るわ〜」 そう呟いた春日の顔を、思わず見上げてしまう。 「…え?」 「何かさ、ぼーっと見てるといろんな事どうでも良くなんない?」 相変わらず、春日は遠くを見つめている。 彼も、忘れてしまいたい事でもあるのだろうか。 こんな所にまで来てでも、一時的にでも忘れてしまいたい、何かが。 「…まぁ、確かにそうですね」 訊いても、いいのだろうか。 むしろこれは『訊いて欲しい』という振りなのだろうかと、整った横顔を横目で見ながら逡巡していると、 春日が伊月の方を振り返った。 「な〜に、気になる?」 「………そりゃ、そんな含みのある言い方されたら気になりますよ」 「まぁ伊月くんになら喋ってもいいかな〜」 「え、ホントにいいんですか?」 「うん…多分似た者同士、だと思うし」 「似た者同士?ポジションの事ですか?」 何の事なのかさっぱり分からないが、春日はただ微笑を浮かべている。 口では言ってみたものの、彼が本当はバスケの話をしたいのでは無いという事は、薄々分かっていた。 あくまで直感に過ぎないし、何の確証も無い。 だが1つだけ何となく分かった事があるとすれば…彼はおそらく、この話をする為にわざわざ自分を呼び出したのだろう。 「それもあるけどさ〜、根本的に空気が似てるんだよね」 「空気?」 「そう。似てるんだよ〜、俺と」 「…そう、ですかね?確かにポジション一緒ですけどプレイスタイルも違うし、 そんな似てるトコって…俺、春日さんみたいな動き出来ないですし」 「まぁそ〜だね。俺には君みたいな”目”も無いし」 「じゃ、何処が」 「叶わぬ恋をしてるトコ、かな〜」 ガン、と頭を殴られた様な錯覚。 同じチームのメンバーでも知らないその事を、 何故違う学校で、挨拶や試合中に会話を交わす程度の付き合いしか無かった春日が知っているのか。 一体、何処まで知っているのか。 余りの衝撃に、心臓が痺れる様に痛む。呼吸が浅くなる。 予想もしなかった言葉に一瞬頭の中が真っ白になったが、 それでも、反射的に『何でその事を』と口元まで出かけた言葉を咄嗟に呑み込んだ。 それを言ってしまったら…認めた、事になってしまう。 恋をしている。絶対に叶わないであろう、恋を。 何故なら…その、相手は。 「…え、あ、ごめん…!そりゃいきなりこんな事言われちゃびっくりするよね…! 大丈夫だよ誰も気付いてないと思うし、俺も同類だし!だからさ〜そんな真っ青にならないで…!」 顔面蒼白になっている伊月の頭に手を伸ばし、なだめる様に撫でながら、 春日は「ホントごめんね」と何度も繰り返した。 優しいその手にほんの少しだけ日頃の冷静さを取り戻しかけた伊月の、 その思考に引っ掛かった、違和感。 「………あの、春日さん」 「ん〜?」 「ちょっと気になったんですけど…同類っていうのは、つまり…その」 「あぁ俺ね、うちのキャプテンに絶賛片想い中だから〜」 「はぁっ!?…え、ってか、そんなあっけらかんと……………あぁでも、うん、まぁそれは…確かに…」 「同類?」 「………まぁ、そっすね…って、その…何で、分かったんですか」 「え、見てたら何となく」 「何となく!?えっ俺そんなバレバレだったんですか!?」 「いや〜普通は気付かないっしょ〜。俺だから分かったんだよ、きっと」 「は、はぁ…」 恋をしている。絶対に叶わないであろう、恋を。 全て、春日の言う通りだった。 いくら仲が良いとはいえ、同性のチームメイトに向けるにしては甘く、ひそやかな熱を帯びた、視線。 そこに込められた本当の意味を推し量る事が出来るのは…きっと、同じ感情を知る者だけ。 伊月自身もそうだが、やはり同じポジションの相手とは相対する事が多いだけに、つい人一倍観察してしまう。 そして、彼の方は気付いたのだ。 伊月が、自分と同じ苦しみを抱えている事に。 「…叶わぬ恋、なんでしょうかね…やっぱり」 「少なくとも今の所はそうなんじゃん?…お互いに」 「春日さんは…それでいいんですか?」 「いいも悪いも、まぁこればっかは相手あってのもんだしさ〜。どうにもならん時はどうにもならんでしょ」 そう言って笑ってみせる春日のその笑顔は、今までのものと違って何処か寂しげで。 どうにもならない時は、どうにもならない。 諦めたい訳ではないが、踏み込むだけの勇気も無い。 だから…隣で”彼”を支える事しか、出来ない。 というか、結局は出来る事などそれしか無いのだ。 来るかどうかも分からない”いつか”に夢を見続けるなんて、余りに辛過ぎるではないか。 ただ、相手の幸せを願って。それだけを願って。 自分に比べれば随分と割り切っている様に見える春日も、そこに至るまでにどれだけの葛藤と戦って来たのか。 本当は、向けられる視線も笑顔も何もかも、全部自分だけのものにしてしまいたいのに。 「…ねぇ、伊月くん」 「何ですか」 「ちょっとさぁ、肩貸してくんない?」 「肩、ですか?」 「そう」 許可する間も無く、トンと春日の頭が伊月の肩に触れる。 少し長めの茶色い髪がさらりと流れて、彼の顔を覆い隠した。 「いや〜…本気で人好きになるのが、こんなキツいとは思わなかったわ…」 海から吹き付ける潮風が、そう呟いた春日の髪を乱している。 それに無性に触れたくなって…今にも伸ばしそうになっていた手に力を込めて、押し留めた。 それは”彼”に対するものとは違う、全く異質のいとおしさ。 決して満たされる事の無い心の隙間が、 絶え間無く聴こえる潮騒と着ているシャツ越しに伝わる彼の体温に埋められて行く様な、そんな気がしていた。 それが不毛な行為でしか無いとしても、今の自分にはきっと、同じ痛みを知っている彼が必要で。 もたれ掛かれる様な相手が、必要で。 だがこうして互いの傷を舐め合っていても、後には何も残らないと頭では分かっている。分かっているのだ。 …だけど。 「…春日さん」 「ん〜?」 「俺も…ちょっと、頭借りていいですか?」 「頭?」 「はい」 周囲に人の気配が無いのを確認して、伊月は自分の肩にもたれ掛かっている春日の頭に頬を寄せた。 辺りに立ち込める潮の香りに混じって、整髪料の甘い香りが鼻をくすぐる。 自分以外の人間の体温の温かさがひどく心地良くて、何故か涙が出そうになった。 「何かさ〜」 「はい?」 「俺ら2人とも、難儀な人生だよね〜」 「…そう、ですね」 春日が言う様に、人生とは何て上手く行かないものなのだろう。 自分を好きになる相手だけを、最初から好きになれればいいのに。 そうすれば、男だろうが女だろうがそんな事はどうでもよくなるではないか。 誰かと身体を寄せ合う事はこんなにも容易いのに、それを一番望む相手には決してする事が出来ない。 いつも隣に居るのに、そのほんの数cmの隙間が余りにも遠くて。 だが、その”ほんの数cmの位置に居られる”という事が、この上無く嬉しかったりもするのだ。 決して報われる訳ではない。しかし全く救いが無い訳では、ない。 誰よりも想いを寄せる相手が、隣で笑っていてくれる。 自分を信頼して、背中を任せてくれる。心を預けてくれる。 それが何よりの幸せで、救いでもある。 だからこそ、諦め切れない。すっぱり割り切る事が出来ない。 感情が言う事を聞かずに、それだけでは駄目なのだと軋んだ音を立て続ける。 中途半端に幸せを感じてしまうから、もっともっとと際限無く求め続けてしまうのだ。 「…春日さん」 「何?」 「もうちょっとだけ、こうしててもいいですか?」 「いいよ、気が済むまでどうぞ〜」 ゆっくりと目を閉じれば、感じるのは体温の温かさと、響き渡る風と潮騒の音だけになる。 寄せては返す波の音は絶えず聴こえているのに、何故か時間の流れが止まってしまったかの様な、そんな気がしていた。 そう、いっそこのまま時間が止まってしまえばいい。 もう何も考えなくて良い様に。…これ以上、痛みを感じなくて済む様に。 だが、ふと隣の男を頭の中で他の誰かに置き換えそうになっているのに気付き、思わず目を開けた。 そこには見慣れた黒髪では無く、柔らかな茶色が広がっている。
例えばちぎれていく海の上で
アニメ正邦戦のイケメンPG対決に滾ったので、 日月の「恋じゃない恋じゃない恋なんかじゃ」とほぼ同じ時期(2009年夏)に書いていたものに、 大幅に加筆修正して引っ張り出してみました。 日向←伊月と岩村←春日前提の春日×伊月…のようなもの、です。 端から見たら報われなくても、それが必ずしもイコール”救いが無い”という訳では無く、 だけどそう感じる事で逆に更に追い詰められて行く様な、そんな伊月さん。 何か結局救いが無い話なんですよね、これ。 |