「ねぇ伊月さん…ピアス開けると運命が変わるって話、知ってるっスか?」
「え?」


 いきなり手渡されたピアッサーの箱を指先でつまみ上げて、興味深げにつらつらと眺めていた伊月が、黄瀬の声に目を上げる。

「あぁ…まぁ、聞いた事はあるな。姉貴が何かそんな様な事言ってた気がする」
「実際どうなんスかね、それ」
「どう、って…じゃお前どうだったの、最初開けた時何か変わった?」
「う〜ん、これ開けた時はもうモデルもやってたし…バスケもやってたし…」
「………運命変える為に開ける必要無いだろ、それ。つかそんだけド派手な人生送っといて、その上今更何を変えようっつーんだよ…」

 呆れた、とでも言いたげな半目になった伊月は、「贅沢にも程があんだろ」と言って再び手元に視線を戻す。





 高校生最後の夏休みも最終カウントダウンに突入していたこの日、 たまたま被った休みに乗じて伊月を自宅へ呼び出した黄瀬が彼に手渡したのは、今その手の中にあるピアッサーだった。 余りに突然の事に、いつもの冷静さも何処かへ置き忘れてぽかんとした顔で黄瀬を見返した伊月に、 「ちょっと手伝って欲しいんス」…なんて、笑顔で告げて。

 黄瀬の左耳には、既に1つ、ピアスホールが開いている。 それを開けたのは、中学3年の夏。帝光中が全中3連覇を果たした、その直後。…ちょうど3年前の、今日だった。
 その日の事は、今でもよく覚えている。今日と同じ様な暑い暑い日で、誰も居ない部屋で1人、鏡と向き合っていた自分の姿。

 あの時の自分は、別に何かを変えたかった訳では無かった。 ただ、先輩モデルがしていたピアスがとても格好良く見えて、それで自分も…といった、そんな思春期にありがちな軽い気持ちで。 ちょうど全中も終わって、バスケにとりあえず一区切り付いた時期だったのもあり心機一転の意味も込めて、 『もう少し涼しくなってからの方が良い』との先輩の忠告も聞かずに、つい勢いで開けてしまったのだ。

 今考えると何て無謀な事をしてしまったのだろうと思うが、それでも、黄瀬は同じ日に再び同じ事をしようとしている。





「贅沢、なんスかね…?」
「…贅沢だろ、はっ倒されたいのかお前」
「ちょっ一刀両断…!?…で、でもっスよ、開けてなかったら俺と伊月さん会えてなかったかもしんないじゃないスか!」
「は?」
「いやだから、俺が海常にスカウトされてなかったら、誠凛と対戦して伊月さんに会う事も無かったかもしんないし、そしたらこんな風に今伊月さんが俺んちに来てくれる事だってあり得ねぇっしょ?」
「…まぁ、それはそうかもしれないけど」
「ほらほらほら!やっぱ運命変わってたんスよ!まぁもしかしたら、最初から俺らそういう運命だったかもしんねっスけどね!」
「それ、こじつけにも程があんだろ…そんなん言ってたら切り無いんじゃね?」
「プラス思考って言って欲しいっス!…つか、俺ら運命の相手だっつーのは完全スルーっすか…!?」
「そりゃ………何と言うか、まぁ」
「え?」
「…察しろバカ」

 ぼそりとそう吐き捨てた伊月の顔をきょとんと見つめながら、その言葉を頭の中で反芻していた黄瀬だったが、 彼の頬にうっすら朱が差しているのに気付き、思わず「あっ」と声を上げそうになった。

「………も〜伊月さん、そういうのマジ止めてくんないっスかね…?」
「何が」
「俺、危うく今日来てもらった目的忘れるトコだったじゃないスか…」

 そう言いながら、隣に座る伊月の腕を掴んで自分の方へと引き寄せる。 不意を突かれて、バランスを崩して黄瀬の胸へと倒れ込む様な形になってしまった伊月の身体を抱き止めると、 そのままその背に腕を回して抱きすくめた。

「ちょっ…!黄瀬お前なぁ…!」
「伊月さんが可愛い事言うのが悪いんスよ〜」

 ピアッサーを手にしたまま抱き込まれてしまって、腕の中から抜け出そうとする伊月を構わずぎゅうぎゅうと抱き締めると、 少しして諦めたのか、彼の反抗が止む。

「………お前が」
「え?」
「お前が恥ずい事言うからだろ…!」

 黄瀬の肩口に顔を押し付ける様にしている伊月の呟く声が、耳元をくすぐる。 そのくすぐったさに怯んだ一瞬の隙を突いて、伊月は黄瀬の腕の中から逃げ出す事に成功した。 そして、目の前にピアッサーを突き付けながらシャツの胸元をガッと掴む。

「ったく、マジで目的忘れ掛けてるだろお前…おら、さっさとブチ開けてやるから大人しくしろ」
「う、うわ〜伊月さん男前っスね…」
「………ホントは、あんま気が進まないんだけどな」
「え?」


 急に声のトーンを落として黄瀬の胸元から手を離した伊月の顔を、思わず見返す。


「いや…せっかく綺麗なもんに傷付けるってのは…何かな」
「綺麗なもんって、それ俺の事っスか?」
「…他に何があるんだよ。まぁお前がどうしてもやって欲しいって言うなら、やるけどさ」

 そう言って苦笑すると、伊月は手を伸ばして黄瀬の左耳にそっと触れた。





 根が真面目で何処か古風な所のある彼が、自らの手で黄瀬のピアスを開けるのに抵抗を示す事は、何となく予想はしていた。 それでも…結局は黄瀬の望みを叶えようと、自分自身に折り合いを付けようとしてくれる事も。

 甘えている、と思う。何処までも優しく、誠実な彼に。 いつだって黄瀬を、周りを気遣っていて、自分の事は二の次で。 こんな優しい人に、自分は何て酷い事をさせようとしているのか。 いくらピアスとはいえ、他人の身体に傷を付けるという行為は、きっと彼の中に消えない痣の様に残り続けるに違い無いのに。



 運命を、変えたかった。

 ただ、忘れないで欲しかったのだ。 仮にもしこの先何かがあって2人離れる事になったとしても、他の誰かのピアスを見る度に、自分を思い出せばいい。 手にした針が皮膚を突き破る感触を、つい昨日の事の様に。

 そう、変えてしまいたかったのは自分では無く…彼の、運命。 こんなにも自分を想って気遣ってくれるのに満足出来ないなんて、彼の言う通りやはり自分は贅沢なのだろう。 贅沢というよりかは、むしろ強欲と言うべきか。
 離れたくないのだ。本当は片時も離れたくない。ずっと、傍に居たい。傍に居て欲しい。 あの涼やかな瞳の中に、ずっと自分だけを映していたい。見つめられるだけで心臓が止まりそうな程、彼を想って想ってやまないのだ。





「………やり方、さっき説明した感じで大丈夫っスか?」
「あぁ。…直角に当てればいいんだよな…こうか?」

 ピアッサーを当てた耳朶を支えている伊月の指が、緊張の為か微かに震えているのに気付き、笑みを浮かべそうになる。 あぁ、やはりこの人は優し過ぎるのだ。思うままに生きる自分とは全く真逆の、理性で生きるひと。 『気が進まない』と言っていたのはきっと本音で、それでも、自分の感情を殺して黄瀬が望む様にしようとしてくれている。

「貫通しない方がヤバいんで、一思いに行っちゃって下さいっス」
「お〜………よし、じゃ行くぞ」
「いつでもどうぞ!」
「1、2、3で行くからな」

 バスケの試合中並みに真剣に自分の手元を見つめる伊月の眼差しの鋭さに、思わず息を呑む。 ”鷲の目”とは逆に一点に集中しているそれに、針よりも先に射抜かれてしまいそうで、ぞくりとする。


「1…2…」


 伊月の指先に僅かに力が篭ったのを感じ、その瞬間に備えて息を詰める。


「3っ…!」


 耳朶に、ぶつりと鈍い衝撃が走った。

「………よ、よし…ちゃんと貫通したっぽいけど…これでいいか?後どうすりゃいい?」
「あ〜後は自分でやるんで大丈夫っスよ」
「そっか…。はぁ…緊張した…」
「そんな、大袈裟っスよ。これくらいみんなやってますって」

 どうやら本当に緊張していたらしく、黄瀬の耳から手を離した後、大きく溜め息をつきながらぐったりと脱力してローテーブルの上に顔を伏せてしまった伊月に笑いかけると、 黄瀬は手際良くピアッサーを耳から外して消毒を済ませ、彼の隣に腰を下ろす。

「すんませんっス、何か無理にやらしちゃったみたいで」
「…いや、何つーか…貴重な体験をさせてもらった、と思う…」
「久々に見たっスよ、あんな怖い顔の伊月さん」
「怖いってなぁ…そりゃ怖い顔にもなるだろ、人の身体に穴開けるんだから」

 ローテーブルに身体を預けたまま、伊月は顔だけ黄瀬の方に向けて苦笑を浮かべた。 そして、たった今自らが穴を開けた黄瀬の左耳に視線を向けて、心配そうな表情になる。

「…痛くないのか、それ」
「う〜ん開ける瞬間はちょっと痛いっスけど…今は何か、痺れてる感じで。まぁでも、2回目なんで大丈夫っス。…あ、そうだ見て見て伊月さん!」
「ん?」

 黄瀬は立ち上がると、勉強机の引き出しの中から小さな紙袋を取り出した。 袋を開けながら伊月の隣へと戻ると、彼は「何それ?」と言いながら手元を覗き込んで来る。

「新しいピアスっス。今開けてもらった穴安定したら、これ付けようと思って」
「へぇ…あれ、輪っかじゃないのか?」
「どうせなら違う感じのにしようと思って。綺麗っしょ?」

 ころりと伊月の手のひらに転がしてみせたそれは、乳白色の小さな石がついたシンプルなピアスだった。 興味深げに指先でそれを突っついて眺めていた伊月が、ふと目を上げる。

「なぁ、この白いのって何の石?」
「あぁこれ、ムーンストーンって奴っスよ」
「ムーンストーン?」
「そう。”月の石”…ね。凄くないっスか、見た目も名前もまんま伊月さんっぽくて!」
「………お前」
「え?」
「…お前は…ホントに恥ずかしい奴だな…!」


 伊月の白い頬が、みるみる朱に染まって行く。


「えっ何なのお前マジで、俺にピアス開けさせて、そこに見た目も名前も俺っぽいピアス付けんの?…もうそういうの止めろっつってんだろ、このイケメンが!シャレになんねぇんだよ!」
「いや別にシャレのつもりは一切無ぇっスよ、俺大マジっスよ!伊月さんといつでも一緒な気分で居たいだけっス!」
「だーかーらー!!そういう事をサラッと言うなっつってんの!あーもう無理、俺帰るわ…!」
「わーちょっ待って!帰らないで!せっかく休みなんだし、もうちょい居て欲しいっス!」

 本気で帰ろうとしたのか、真っ赤になりながらピアスをローテーブルに置いて勢い良く立ち上がった伊月の腕を咄嗟に掴み、必死で懇願する。 黄瀬は座ったままなので彼の腕にぶら下がる様な形になっているのだが、 自分よりもずっと体格の良い黄瀬にそうされては、いくら鍛えているとはいえ、伊月では振り切る事が出来ない。
 しばしの押し問答の後、結局彼は逃亡を諦めたのか、溜め息をつきながら元居た場所に再び腰を下ろした。

「ったく………黄瀬には敵わないよ、ホント」
「何言ってんスか、むしろ俺の方が伊月さんに敵わないっスよ」
「俺に?どうして?」
「…俺みたいなのと一緒に居てくれるから、っスかね」
「え?お前こそ何言ってんだよ、俺はお前が…」
「へ?」
「………何でも無いっ…!」

 その表情を隠す様に、またローテーブルに顔を伏せてしまった伊月が可笑しくて、 「ねーねー伊月さんどうしたっスか?こっち見て話して欲しいんスけどー?」などとからかってみたりしながら、 自分は本当に最低だと黄瀬は思う。




(だって…一生解けない呪いみたいじゃないか)




 運命を、変えてしまいたかったのだ。
 仮にもしこの先何かがあって2人離れる事になったとしても、 他の誰かのピアスを見る度に、自分を思い出せばいい。 手にした針が皮膚を突き破るあの感触を、つい昨日の事の様に。




「伊月さん、これ片っぽ預かってて欲しいんスけど」
「え、何で?俺ピアス開ける気無いんだけど…」
「そんなん分かってるっスよ。…ほら、俺こっちは輪っかあるからどっちにしろ1個しかつけねぇし、失くした時の為の保険っつーか…伊月さんならきっちり仕舞っといてくれそうだし」
「うん?…まぁ、別にそれくらいならいいけど」

 ローテーブルに置かれたピアスを片方摘み上げて、伊月の手のひらへと落とす。 こうしてまた最もらしい理由をつけて、彼を自分に縛りつけようとするのだ。
 一番好きな相手にさえ言えない…いや、好きな相手だからこそ言えない、こんな底無しの泥沼の様な感情。 キセキの世代でもモデルでも無い、”ありのままの黄瀬涼太”を知って欲しかったはずなのに、いつからこうなってしまったのだろう。

 離れたくないのだ。本当は片時も離れたくない。ずっと、傍に居たい。傍に居て欲しい。 あの涼やかな瞳の中に、ずっと自分だけを映していたい。 見つめられるだけで心臓も呼吸も止まりそうな程、彼を想って想ってやまないのだ。
 だが本心を言葉にしようとすればする程、優しい彼を追い詰めてしまいそうで、 だからこうして茶化す様な言い方とやり方でごまかしながら、それを覆い隠す。


 恋など、結局エゴの塊だ。彼の心の中に居る為なら、何だってする。





 彼に穴を開けてもらったばかりの左耳は僅かに熱を持っていて、その鈍い痛みは甘い痺れとなり、黄瀬の口元を笑みの形へと変えた。
 伸ばした指で梳いてみた伊月の艶やかな黒髪は、隙間からさらさらと零れ落ちて行く。













Sweet pain




出来上がってる黄瀬と伊月。ちなみに黄瀬が高3、伊月が大学1年の設定なので、いつもの出会っちゃった黄月とは別次元だと考えて頂きたく。 8月30日が黄瀬のピアス記念日だっていうから書いてみたんだけど、そもそも書き始めたのが30日の夜じゃ間に合うはずが無い訳で!

何かついったで「好きな相手にピアス開けさせるのって倒錯の匂いがするよね」って話してたら、こうなりました。 黄瀬が若干ヤンデレがかってます。でもこいつ、「束縛されたくない」とか言っときながら、本命に対する愛は相当重いと思うんですがいかがなものか。 中の人がピアスしてないもんだから、これ書く為に色々ググって調べたりとかしちゃったよ! でもあんまりそれが役に立ってない気がするのは、きっと気のせいなんじゃないかな!    



pixiv初出:2012/09/02
サイト再録:2012/09/08