baby light

「………しっかし何つーか…」
「え?」
「イケメンって凄いっすね…」



 高尾から手渡されるままに、鏡の前で黒いハットを試着していた伊月は、その呟きにきょとんとした顔で振り返った。 「はああ…」と大袈裟に眉根を寄せながら溜め息をついてみせると、彼はハットを被ったまま小首を傾げる。

「何だよ、どうしたんだ?」
「…いや…伊月さんって、似合わない服とかあるんすか…?」
「は?」
「だってもう何か、さっきから何合わせても引くくらいイケメンじゃん…! つかアレっすよ、いっそ黄瀬ばりにモデルとか出来るっしょ!」
「え、待って、お前何言ってんの!?出来る訳無いだろ、俺がそんな事…!」
「いーや出来る!伊月さんのそのクールビューティーさなら絶対出来るね!」

 そこまで勢い良く言い切ってから、高尾はふとある事に気付いて思わずはっと息を呑んだ。 それを見た伊月が、訝しげに眉を顰める。

「…おい高尾?今度は何だ?」
「………やっぱ、ダメ」
「え?」
「ダメっすよ伊月さん!そんなんなったらライバルぜってー凄ぇ増えるし! つか、そもそも俺の伊月さんに手ぇ出そうなんざ100万年早ぇっつーの!」
「はぁっ!?ちょっ何でそうなるんだよ、俺別にモテないし!あと高尾、声デカいから…!」
「いやコレ大問題っすよ!?伊月さん自分のビジュアルの破壊力がどんだけ凄まじいか、いい加減自覚してくんない!?」



 あの黄瀬程では無いにしろ、実際の所は伊月も十分に道を歩けば人が振り向く美形なのだが、 高尾が叫んだ様に、問題は彼自身のその自覚が限りなく希薄だという事なのである。
 風の噂で聞いた話によれば、学校で女子からデートに誘われたり告白をされたりというのもかなり頻繁にあるらしいのだが、 それでも、彼自身の認識は『俺には黄瀬みたいな華は無いし、地味だし、モテるとかそんなのあり得ない』…なのだ。
 だがしかし、”彼が女子によく声を掛けられる”という事実が確かに存在する事に関しては、 『まぁ女きょうだいに挟まれてるし、多少は扱いも慣れてるのかもしれないなぁ…だから、単に声掛けやすいだけなんじゃん?』…で。 『いやだから、それがモテてるって事なんじゃないすか!?』と高尾がどんなに食い下がっても、 『そんな事無いよ』と笑って流されてしまう。

 他人の事に関しては恐ろしいくらいによく気が回るくせに、自分の事には本当に無頓着で。
 こうして外で一緒に居ても、時折すれ違う若い女性が伊月にちらちらと目をやったりするのだ。 これだけの視線にも気付かないだなんて、”鷲の目”が聞いて呆れるではないか。 本当に、無関心というもの程怖いものは無いと、高尾は思う。



「っていうか、モテるっていうなら高尾の方がモテるだろ?お前明るいし、話上手だし、どう考えても女子受け良いだろ」
「えっ?…うんまぁよく話し掛けられはしますけど、でも何つーかペットみてーな扱いっすよ俺」
「ペット!?って、何だよペットって…可愛がられてるって事か?」
「…あっれー、伊月さんもしかしてちょっと妬いてくれちゃってたりとかしてます?」
「いやそれは無いけど」
「無いんすか!?つか即答!?」
「だって、必要無いだろ?」

 さらりとそう言って、伊月は試着していたハットを脱ぎ、元の位置に戻す。 そして伊月が言った事の意味が掴めなくてポカンとしてしまっていた為に、 次の言葉が継げなかった高尾を振り返って、小さく苦笑を浮かべた。

「…まぁ、いつかは嫉妬とかもする日も来るのかもしれないけど、少なくとも今の俺には必要無いかな…って事だよ」
「………えっと、それはつまり」
「言わせんな、恥ずいわ」


 信じている、と。
 高尾の伊月に対する想いと、伊月自身の高尾に対する想いを、信じているから。


 もちろん、愛されている実感が無い訳では無い。 だが、普段から余りにも達観していて物分かりの良過ぎる伊月に、 『たまにはちょっとくらいヤキモチとか妬いてくれたら嬉しいのになー』…なんて思っていたりもしたのだが、 彼の想いは、どうやら既にそれすらも超越した所にあったらしい。
 1つしか歳は違わないはずなのに、何故そんな既に悟りの域に到達しているかの様な発言が出て来るのか。 自分で言うのも何だが、頭の回転は人よりはそこそこ速いはずなのだが、伊月のそれは最早高尾の予測の範疇を超えているというか、 何やら別次元に片足を突っ込んでいる様な気さえする。

 言外に伝わって来たそれは嫉妬の様な激しさとは全く真逆の、じんわりと心身に染み込む様な、ほのかな熱。 そんなものにほわりと包み込まれた様な気がして、高尾は思わず目を瞠る。
 というか、既にかなり物凄い事をさらりと言っておきながら、それでも『恥ずい』というのはどういう事か。 その気になれば、これ以上の事を言えるとでもいうのか。

「…うっわ伊月さん、マジ怖ぇわ…」
「怖い?俺が?」
「もう俺、嬉し過ぎてどうにかなっちゃいそうなんすけど…とりあえず、今すぐ襲っていいっすか?」
「え、ダメに決まってんだろ…」
「ですよねー…え、ちょ、じょ、冗談って分かってるっしょ!?そんな冷たい目で見ないで下さいよー!」

 別のハットを手に取って被ろうとしていた伊月は、横目でじとりと高尾を見つめていた。 元々の涼しげな顔立ちと切れ長の瞳と相成って、周囲の空気を凍りつかせたかの様に背筋をぞくりとさせるその迫力に、思わず情けない声が出てしまう。
 しかし、本当は分かっているのだ。それが高尾の冗談(実は半分本気だったのだが)に対しての、伊月なりの冗談なのだという事は。

 互いに互いの性格を理解しているからこそ出来る、戯れ。 元々は学校も別で、学年も違い、ただ同じポジションで同じ様な能力を持っているというくらいの接点しか無かったのが、 いつの間にかこういう事も出来るくらいに近い間柄になっているその理由なんて、どんなに理論的に考えても答えはきっと出ないだろう。
 そもそも高尾自身も、まさか自分が男の伊月を好きになるとはこれっぽっちも思いもしなかったし、 そしてあろう事か、伊月がその感情を受け入れてくれるなんて、もうこれは超展開としか言えないではないか。 もし神様というものが本当に存在するなら、随分と突拍子も無い悪戯をしてくれたものだと思う。



「…やっぱ高尾が選んでくれたのの方がいいな」
「え?」
「いや、だからこっちの黒いの」

 一瞬前の絶対零度の視線は何処へやら、けろりとした顔で伊月は先程まで試着していた高尾チョイスの黒いハットを再び手に取って、被ってみせる。
 それは本当にシンプルな飾り気の無いデザインだったが、伊月の白い肌に良く映えて、美しい黒い瞳の印象を更に強めていた。
 ちなみに今日の彼の私服は、濃紺の細いデニムに丈の長い黒のカーディガン、 首元が大きく開いた薄いグレーのボートネックカットソーに紫のストール、黒のショートブーツという格好だった為、 高尾もそれに合いそうなものと思って薦めたのだが、彼はそれをいたく気に入ってくれたらしい。

「帽子って普段全然被んないんだけど、たまにはいいかもなぁ」
「まぁこういうの1個あるだけで、服の印象全っ然変わりますからね!…つか伊月さん、マジ似合い過ぎなんだけど!」
「はっ…ハッとする程ハットが似合う…!キタコレ!」
「うんまぁ確かにハッとする程似合ってるけどね!?そういう意味ではキタコレだけど!」
「何だよ、評価するトコが違うだろ…!?大事なのは面白いかどうかであって…」
「それは微妙」
「ちょ…!ひどっ!」

 ハットが似合うと褒められるよりも、ダジャレの評価が微妙な方が一大事な辺りが、さすが伊月俊と言うべきか。
 これさえ無ければこの人マジでチートなのに…といつも思うのだが、 普段相手にしているのがあの変人としてその名を轟かせる某SGであるだけに、むしろこのくらいなら逆に可愛いとすら思えてしまう。

「伊月さん、それ買う?」
「あ、うん…でも小遣い出てからにしよっかな…買えない事は無いんだけど」
「じゃあ俺買いますよ!」
「へっ何で!?いやいいってそんな…!自分で買うから…!」
「だって、今日誕生日っしょ?プレゼントっすよプレゼント!」

 伊月のこのリアクションは、既に想定の範囲内だった。 気配りの人である彼が、いくら”お付き合い”をしている相手であったとしても、 年下の高尾にそれなりの値段の物を買わせるのに抵抗を示す事くらいは、最初から分かっている。


 だが、今日は。今日だけは。


 例え伊月が何と言おうと彼が気に入った物を何でもプレゼントするつもりで、買い物に連れ出したのだ。 彼の誕生日を知った日からずっと、この日の為に少しずつ小遣いを貯めて来た。 サプライズで何か用意するのも良いが、どうせなら彼の望む物をプレゼントしてあげたかったのだ。

「ね、だから遠慮しないで?むしろ買わせて下さいお願いします!」
「え、ちょ、そんなお願いとかされても…!」
「買わせてくんないなら今すぐこの場でキスするけど、それでもまだ拒否ります?」

 にっこりと、満面の笑みを作りながらもあくまで小声でそう言い放った高尾を前に、伊月はぐっと言葉に詰まる。 そのまま困った顔で数秒視線を宙に彷徨わせていた彼は、1つ溜め息をつくと苦笑を浮かべた。

「………分かったよ…お前、本気でやりかねないし。…ありがとな」

 そう言うと、伊月は被っていたハットを高尾に手渡し、ふわりと微笑んだ。
 外見と落ち着いた性格のせいか、普段はクールなイメージが強い彼のこんな笑顔が実はとても温かいのだと、それを知ったのはいつの事だったろうか。 表現が表現だけに伊月本人にはさすがに言った事は無いが、まるで清楚な白い花でも咲いているかの様な、そんな優しいもので。



 この笑顔を守る為なら、何だってする。
 いつだって気を配ってばかりで自分の事など二の次で、そしてそれを本人も周囲も”自然な事”だと思っていて、 またそう思えてしまう程に、当たり前に彼はその”眼”で周囲を見守っている。


 ならば、そんな彼を誰が支えているというのか。


 伊月にしてみれば、きっと『自分はみんなに支えられてる』とでも言うのだろうが、 少なくとも誠凛メンバーと自分の立ち位置は似て非なるものだと、高尾は考える。
 確かに彼らに比べれば一緒に過ごす時間も少ない上に、いつも傍に居られる訳でも無い。 それでも、少し距離があるからこそ見えて来るものが、確実にあるのだ。

 高尾自身はその気になればいつでも伊月に甘える事は出来るのだが、 彼はこちらから上手く誘導しない限り、決してそうしてはくれない。
 人を甘やかす事ばかり得意で人に甘える事をしない…というか、 下手をしたらそもそもそういった概念すら持っていなさそうな彼の内に灯る、このほのかな温かい光を消さぬ様に、絶やさぬ様に。 人一倍聡い彼に極力気を遣わせずにそれが出来るのは、他ならぬ自分だという自負はある。

 もっと楽に生きればいいのに…と、思う。 だがそれは生まれ持った性質によるものであるし、彼にとっては極々普通の事である。 だからこそ、傍に居たいのだ。もっと笑って欲しいから。弱音も吐いて欲しいから。

 自分を愛してくれる彼に、全身全霊を懸けて報いたいから。



「さーて、じゃ会計しますかー」

 連れ立ってレジまで行き、店員に「これお願いしまーす」と言ってハットを手渡す。 財布を漁っていると、隣に立っていた伊月が「あの…」と店員に向かって声を掛けた。

「すいません、今被ってきたいんで…タグ外してもらえますか?」

 驚いて伊月の方を振り向くと、彼は「だって、せっかくだしさ」と、ふにゃりと照れた様に笑った。 見た事も無い彼のそんな笑顔に思わず自分の顔まで緩みそうになって、高尾は慌てて顔の筋肉を引き締める。
 さっきまで散々アレな発言をしておいて何だが、一応ここは公共の場で、 目の前には笑顔で伊月にタグを外したハットを手渡している店員が居るのだ。 微妙に体温が上がってしまったというか、顔も多少赤くなっている様な気がするが、そればっかりは不可抗力だ。 自分ではどうしようも無いので諦めるしかない。

 高尾が会計をしている間に、伊月は店内の鏡に向かって再びハットを被っていた。 そして、会計を済ませて来た高尾を振り返る。

「ありがとな、高尾」
「いやー自分で選んどいて言うのも何だけど、俺ってとんでもねぇイケメンと付き合ってたんすね… それ、伊月さんに被られる為に売られてたんすよ絶対。マジかっけーっす!」
「そんなおだてたって何も出ないぞ?」
「出さなくていいんすよ、今日は全部俺が出す側だから。伊月さんは喜んでりゃいいの!」
「え、あぁ…うん、じゃそうさせてもらうよ」

 「ホントにありがとう」と、高尾を真っ直ぐに見つめながら伊月は噛み締める様に言った。
 そして、ふわりと微笑む。空気を通して伝わるのは、じんわりと心身に染み込む様な、ほのかな熱。


「真ちゃん風に言うなら…どう致しまして、なのだよ!誕生日おめでとうございます、伊月さん!」


 ニッと笑って、伊月に向けてVサインを突き出してみせる。




 …あぁ、何て温かい。