何 度 で も 、 君 を 選 ぶ よ
高校時代は、最高の仲間たちと一緒にバスケに明け暮れた。間違いなく、まださして長くない人生だけれど、一番に鮮やかなときだった。
今でもときどき思い出す。部を自分たちで創り上げて。毎日、全力だった。一対一ではとても敵わない、同じ人間とは思えない連中と戦って、そして、何度も打ち勝った。引退、卒業のときには、後輩たちが泣いて見送ってくれたりして。
ただひたすらに、幸福だった。恵まれて、いた。
自分は、決して優れてはいない、と、伊月俊はそう思う。別に卑下しているわけではなく、それを悲しんでいるでもなく、単純に、客観的に、そう評価しているだけだ。
事実、中学時代は一度だって勝てなかった。なぜか、なんて考えるまでもない。実力不足だった。
多分あの頃だっただろう、自分が平凡であることを強く自覚したのは。そこで諦めることはしなかったし、部の設立時、屋上で勝利を宣言したときも嘘はなかった。けれど、ただ、自分ひとりではできないことだけは、ずっと理解していた。
だから高校を卒業して、大学に入ってからは、バスケからは一歩引いた。プロには、なれない。サークルとして割り切って楽しんで、かつてのチームメイトやライバルが活躍している様を、どこか遠い世界のように眺めていた。
その分余った時間や気力は勉強やバイトに費やした。就職活動も人並みに進めていって。至って普通のキャンパスライフ。将来も一般的なサラリーマンになるんだろう、なんて、思っていた。
そんな考えだったから、ある日突然現れた赤の男が口にした言葉には、ひどく驚愕したものだ。
「あなたを、僕の秘書として、迎え入れたい」
赤司征十郎は、真摯な眼差しでそう告げた。
大学四年、それなりの企業からの内定も得た、秋の話だった。
「――俊? ついたよ」
声に、引き戻される。タクシーの、独特のにおい。赤い瞳が、不思議そうに自分を見つめている。
「あっ、すみません」
慌てて表示される金額を支払って降車すると、前を行く同乗者がおかしそうに微笑して振り返った。
「珍しいね。上の空なんて」
ごめん、と謝りながら、抱えていた書類を丁寧にファイルに仕舞う。その手元を、男が覗き込んだ。このところ少し伸び気味の赤い髪が、頬をかすめる。
「へえ。……履歴書?」
「そう、入社志望の、新卒の。誠凛出身の子がいて、さ。昔のこと、ちょっと思い出してた」
「なるほどね。しかしそんなものにも目を通しているのか。まだ採用は決まってないんだろう?」
人事担当に任せておけばいいものを、と言いたげな男に苦笑を返す。確かに、面接官の人を見る目はいい。
何せ目の前のこの男が、その才能を見出した存在だ。
「なんとなく、な。……赤司は立場の割に興味がなさすぎるとも思うけど」
「いいんだ。間違いは起きないから」
自信たっぷりな赤司の笑み。さすがだなと、笑うほかになかった。
――赤司征十郎。伊月が勤める会社の、代表取締役である。
大学在籍中に起業した会社を見事成功させ、今や実業家としてその名は広く知れ渡っている。
彼も、高校卒業以降はバスケ界から姿を消した一人だ。当然、プロアマ問わずバスケ界は大騒ぎとなったのだが、彼はそれについて公に胸中を語ることはなかった。
だから当時は、彼のその後については、全く把握していなかった。あの秋の日、自分を秘書にしたいと告げにくるまでは。
「ごめん、お待たせ……って、おいっ」
ファイルを仕事用の鞄に詰めこみ終えたところを、歩き出すより先に、横から伸びた手にすかさず奪い取られた。
反射的に取り戻そうとして、すぐに諦める。彼の『目』が相手では、勝ち目などない。
代わりに、悪あがきじみた言葉を投げかけた。
「あのさ、お前は社長で、俺はその秘書なんだけど?」
「仕事中は、だろう。今はプライベートだ」
案の定な返答。そのあと続けられる言葉も簡単に読める。言わなければよかった、と思ったが、もう遅い。
「恋人に荷物を持たせるような男、最低だと思わないか?」
愛おしげに細められた赤と金の双眸に、何も言い返せなくなる。頬が熱くなるのを自覚して、ふいと顔を背けた。くすくす、小さく笑う声がする。
ふと、思考を巡らせた。いつ、だっただろう。二人の始まりの日――ずっと抱えていた疑問をぶつけたあの日は。
赤司の会社の誘いはまさしく青天の霹靂だったけれど、案外すんなりと自分の中で決断が降りた。高校時代に直接試合で向き合ったときから、彼の言葉に妙な説得力があることは感じていたし、差し伸べられた手にしても印象は同じだった。
何より、彼自身に興味があった。純粋に、惹かれて、いた。当時は憧憬だとか敬慕だとか、そういった類のものだったが。共に働くようになって、気持ちは増す一方だった。
そして同時に、なぜ自分を秘書に選んだのか――結局口にできずじまいだったその疑問も、膨れ上がった。
傍にいると、一層身に染みて感じるのだ。彼は、天才だと。そんな彼が、どうして凡人である自分に声をかけたのか。
いつまでも問えなかったのは、やはりどこか根本的なところで、赤司に信頼を寄せていたのだと思う。知らぬ間に、絶対的なまでの信頼を。
理屈も何もなかった。彼の言うことは正しいのだと信じて、雑念は捨てて仕事をこなしていた。ただ、彼のためにできることがしたいと、いつしか思うようになっていた。
しかし事業が拡大していくにつれて、不安が勝るようになって。自分の手に負えるだろうか。力不足ではないだろうか。足手まといに、なってはいないのだろうか――?
いつ、だっただろう。弱音を吐きたくないというプライドが決壊して、とうとう伊月は、赤司に問いかけた。自分で本当にいいのか、と。
そのときの彼の表情を、今でもよく覚えている。あんな顔は、初めて見た。
言葉を探すのにひどく苦労した様子で、困ったように柳眉を下げて。取り繕ったような微笑。視線も定まらず、曖昧で。
そして結局、観念したように目を伏せて、静かに、赤司は笑った。
――あなたが、好きなんですよ。
目を開けて、正面から伊月を見据えて、そう言った。
傍にいてほしかった。あなたとなら、なんでもできると自負していた。だからバスケではなく、事業の道を選んだ。あなたが、バスケから離れたから。
驚くべきはずのその告白は、会社へ誘われたときと似て、すとんと心の真ん中に落ち着いた。不思議な感覚だったが、とても暖かいものだった。決断などと称すまでもない。決まりきった答えが、既にそこにはあった。
そうして二度目もまた、伊月は彼の手を取ったのだ。
懐かしさに、心がぽかぽか温められていく。気恥ずかしさも消えて、改めて隣を歩く赤司を眺める。高校の頃は同じくらいだった身長は、今では少しだけ、赤司に負けてしまっている。視線に気づいた赤司が、瞳だけを寄越す。
「どうかした?」
「んー、好きだなあと思ってさ」
素直に想いを口にすると、赤司は一瞬瞠目して、それから嬉しそうに声を上げた。
「相変わらず俊は、ときどき、驚くほどストレートだね」
「お前に言われたくはないな」
「そうかな」
「自覚ないのか」
昔では考えられない、じゃれるような会話。この時間が、伊月は結構好きだったりする。
談笑しながらくぐる、シックな木製の扉。ぼんやりとした間接照明に照らされた、趣のあるバー。赤司のお気に入りで、客に過度に干渉してこないため芸能人の愛好家もいるという、隠れ家的な店である。
平日ということもあってか、客入りはまばらだった。赤司に気付いた初老の店主が、すっと歩み出てきて個室へ通してくれる。今日は何を、との問いに、赤司が慣れた様子で何か頼むと、店主は人のいい笑顔で頷いた。
実は伊月はこの店に来るのはまだ二回目だ。伊月があまり酒が飲めないのもあって、普段赤司は一人で訪れているらしい。彼は大切な人しかここに連れてこないのだという。
一度目の来店は、あの告白の後だった。
小窓から、カウンターを伺う。無駄のないなめらかな手つきでバースプーンを扱うのを、思わず感心してじっと見てしまった。
瞬く間に運ばれてきたのは、デンファレやフルーツの飾りもない、シンプルなカクテルだった。けれどその鮮やかな赤い色が、澄んで美しい。
「これはね」
しげしげと見つめていると、向かい側から優しい声が降ってきた。頬杖をついたままで、赤司は悪戯に目を細める。
「レッドムーン、っていうんだ」
「え、うわ、そんなのあるんだ……なんか恥ずかし」
「度数は低いから、きっと俊も飲みやすいと思うよ」
カラン、と、氷が鳴く。傾けられたグラスに、そっと自分のグラスを合わせて、乾杯を。赤司が微笑んだ。
「お誕生日おめでとう、俊」
――10月23日。伊月俊の、26歳の、誕生日である。
「ありがとう。わざわざ時間作ってくれて」
「当然だよ。一番大切な日だから」
真顔で言われると、店内の雰囲気も手伝ってかやけに照れくさくなって、グラスに口をつけて誤魔化した。甘酸っぱい、クランベリーの味。赤司の言うとおりアルコールは控えめで、すっきりと飲みやすい。
「おいしい。こういうのなら飲める」
「よかった」
満足げに破顔して、赤司は背広のポケットから、小さな小箱を取り出した。ベルベット地に覆われた、ジュエリーケースだ。そっと伊月の手を取って、その掌に、小箱を置く。
「改めて、おめでとう」
「ほんとマメだな……ありがとう」
開けていいか問いかけると首肯が返ってきたので、ゆっくりと蓋を開く。
そして、はっと息を飲んだ。
指輪、だった。ピアスやネックレスを贈られたことはあるが、指輪は初めてだった。
細身のシルバーリング。意匠的に、不自然でないように、アンバランスなデザインをされた、これは。
これは、ふたつでひとつの、ペアリングなのだ。
言葉を失って、面を上げる。赤司は微かに瞳を揺らして、言った。
「意味をどう取るかは、あなたに任せるけれど――」
一呼吸おいて、するりと指を絡ませてきた先。左手の薬指。BGMをかき消すほどに、どくん、と、鼓動がいやにうるさい。
「サイズは、ここに合わせてあるから」
触れられた指が、熱を持つ。思考がまとまらない。急速に乾いた喉を震わせて、声を絞り出す。
「っちょっと、待てよ! お前、いつも意見押し通すくせに、こんな……意味は俺に任せるって?」
「……そうだね、随分卑怯なことをしてるとは思う」
伊月の言葉に、赤司は視線を落とした。でもね、と、続ける声も、いつになく頼りない。
「あなたに選んでほしいんだ。こればかりは」
眉根を寄せて苦く笑う姿が、いつかの情景と重なる。それだけ、本気だということなのだ。胸に、ぐるぐると、感情がこみ上げる。
「……選ぶって、何を?」
「、え」
「生憎、俺はお前みたいな天才とは違うんだ。せめて選択肢くらいは提示してくれないか。でないと、残念だけどお前が何の話をしてるのか、俺にはさっぱり分からないから」
まくし立てるように早口で言えば、赤司は虚を突かれたような顔をしてから、やれやれと肩をすくめた。
「また、分かりきった嘘をつくんだね」
「ズルいってんならイーブンだろ」
「あなたの言う通りだ」
心底納得したように、赤司は声を上げて笑った。そして、落ち着いた声で、伊月の名を呼ぶ。立ち上がり、伊月の隣に腰かけ、しっかりと視線を合わせた彼は、もう既に、いつもの平静を取り戻している。
「――この国では、正式な関係にはなれないけれど。それでもいいのなら、ずっとこうして、傍にいてほしい」
手が、差し伸べられる。まるで、数年前の秋のように。
「結婚、してくれませんか?」
まっすぐな、想い。予期していたのに、声が詰まる。
何度も、何度も、考えたことがあった。
赤司は正真正銘の天才だ。それ故に、例え仲間が一緒でも、常にどこか、孤独でもあった。
そんな彼を見ているのは、つらかった。せめて人並みのしあわせを得てほしかった。理解し、支えてくれる女性と結婚して、子供を育んで――愛情を、感じてほしかった。
だから、彼が自分にそれを見出したときは戸惑った。嬉しかった、けれど、同性間の愛なんて不毛で、認められるものではなくて。
自分の存在が、彼を幸福から遠ざけているのではと、何度も、何度も、考えた。
伊月は決して自らが優れてはいないと、今でもそう思っている。赤司とは、決定的に違う世界の住人だと。そんな彼と共にあることが、容易くないのも分かっている。ときには互いに傷つくことだってある。
それでも。
「俺は、お前に釣り合うような人間じゃないけど」
それでも伊月はまた、その道を選ぶ。
知っているのだ。赤司は決して、自らが下した決断に後悔することなどないと。
赤司が望んでくれるのなら、彼の隣を、いばらの道を、歩く覚悟は充分にあるのだ。
ならばそれに応え、共に歩んでいこう。
手を、重ねる。僅かに震えた、少しばかり冷たいそれが、彼の人の緊張を伝えてくる。
知らず、笑みがこぼれた。ほら、彼だって、同じなんだ。平気な顔をしていたって、心のどこかできっと、不安が消えないのだろう。
自分と同様に、一人の人間に過ぎないから。もしいつか、彼が道を迷うことがあったのなら、傍で、彼の手を引いてやればいい。
「こんな俺でいいなら、ずっと、一緒にいさせてほしい」
三度目の、選択。
抱き寄せられた先の温もりに、身を預けた。
夏目さんとのコラボ企画、伊月誕あみだ祭り第二弾。
ネタとCPの相手を出し合って、それをあみだで組み合わせるという無謀な企画ですw
二つ目は赤月、お題は10年後。10年後、26歳と25歳ということで、まあ、そろそろこんな時期かな……なんて。だから誕生日はどこへ行ったのかと! 誕生日にかこつけて脱線してます。はて……。
pixiv初出:2012/10/23
サイト再録:2012/10/25