妖 の 産 声

 山奥に、妖怪がいるらしい。
 そんな噂が下町でまことしやかに囁かれだしたのは、つい先日の話だ。鳥のような翼を生やした、人型の妖怪だという。
 目撃例がいくつかあり、信憑性のほどはまずまずと言ったところだ。現状、実害は何もない。ただ、そこに住んでいるらしい、というだけで。
 しかし。
 暗い山道を歩きながら、手にした紙をしげしげと眺める男は、眉を寄せて難しい顔をした。
 討伐依頼。その紙には、そう書かれている。
 ひどいものだ、と思う。確かに妖怪と言えば、そのほとんどが人間に対して大なり小なり悪さをするものだ。だが、全部がそうというわけではない。中には友好的な妖怪だっている。
 被害が出てからでは遅い――その言い分には納得もあるが、だからと言って、噂が流れてすぐにこんな依頼が来るとは思わなかった。
 本当に怖いのは、そういう、排他的な思考のほうだ。自分を守るための正しい行為だと思い込んでしまえば、視野はどんどん狭くなっていく。気付けば、取り返しのつかない泥沼にはまっていることもあるだろう。
 無意識についた溜息がうっすらと白む向こう側に、木々の開けた場所が見えた。
 お、と目を見張る。
 古い小さな家が建っている。廃屋、なのだろう。軒下には蜘蛛の巣が張っており、ところどころ木が腐りかけているのが分かる。
 その縁側に、人影があった。
 闇の中、松明に照らされ浮かび上がる、ほとんど人に近いその姿かたち。けれど背に生えた鳥の翼一枚が、装飾のような非現実さを放っている。妖怪、というよりは、まだ不完全な半妖とでも言うべきだろうか。
 本当だったのか、とまずは驚きがあった。よく見れば、青白い手の甲や頬も、一部が羽毛に覆われていた。
 つややかな黒髪に隠れて、その表情は伺えない。
 一間ほどの距離まで近づいても、妖怪は微動だにしなかった。生きているのか一瞬疑問に思ったが、男はためらわない。
「よう」
 静かな山中に、大きく声を響かせる。そこで初めて、目線だけがこちらを向いた。
 黒い、虚ろな瞳。何の感情も籠らない、人形めいた目をしていた。顔立ちは整っていて、少し中性的な美しさを持った青年だった。
「隣、いいか?」
 反応はない。拒絶されないことを肯定と受け取って、男はどっかりと腰を下ろした。背負っていた荷をおろし、中から酒瓶と盃を取り出す。
 とぷとぷと、液体を注ぐ音が心地いい。
「俺は木吉鉄平って言うんだ。この山の裏にある神社で、神主なんてやらせてもらってる」
 気さくさを心がけて名乗ると、半妖は無表情のまま、ぽつりと問いかけてきた。
「殺しに、来たんじゃないのか」
「いいや? 依頼は来たけど、受けてはないからな」
 とりあえず預かってしまった依頼書を、はらりと広げてみせる。なら何をしに来たのか、訊かれるかと思っていたが、それ以上は何も言ってこなかった。
 くい、と酒をあおってから、今日はさ、と途切れた会話を繋ぎ合わせる。
「月見をしに来たんだ」
「……は、あ?」
 ひどく人間じみた、間の抜けた声だった。つい、口角があがる。
「せっかくだ、一緒に飲もうぜ」
 ほら、と差し出した盃を、半妖の青年があっけにとられた顔で見つめる。言葉以上に雄弁なその瞳は、彼がひどい混乱の中にいると語る。
 けれどやがて何か納得したように、彼はそれを受け取った。




 小振りな盃に満ちた酒は、ぱちぱちと爆ぜる火の粉を映してきらめいた。水のように澄んだ清酒(すみさけ)だ。つんとした酒精の匂いが鼻孔をつく。
 神主だという奇妙な大男が寄越した、それ。大方毒でも盛ってあるのだろう。願ったりかなったりだ。神社の人間が持ってくるものなら、この無駄に頑丈になった体をも壊してくれるに違いない。
 そう、やっと、楽になれる。もう疲れきっていた。
 首に刻んだ深い傷でさえも、彼を許してはくれなかった。死を願う自分がいる半面で、残りの半分は生に執着し、振り落とされまいとしがみついているのだ。
 手にした盃に、愛おしさすら感じた。口元に寄せる。半身が止めろと叫ぶのも構わず、そっと傾けた。
 舌触りのいい酒だ。端麗な口当たりの割に味は重い。ごくりと、飲み干す。久しく水も与えていなかった喉が、きつい酒気に焼けるような痛みを訴えた。
 脳裏に響く悲鳴じみた声は、ややあって力を失った。
 ――けれど、それだけだった。
 意識は、途切れない。呼吸も整っている。痛みも苦しみも訪れず、ただ。
 ただ、生を願う声だけが、聞こえなくなった。
「、え」
「うーん、やっぱりうちのお神酒はよく効くなあ」
 うまいだろ? なんて、あっけらかんと同意を求めてくる男に、半妖はますます困惑するばかりだ。
 二つあった意識の片方が消えたのは確かだが、体に変化はない。背にある翼の感触もそのままだ。事態がよく呑み込めない。
「ま、効くって言っても一時的なもんだけどな。寝かせてるだけで」
「……何を企んでるんだ、お前」
 不審さを露わに問い詰めても、木吉は動揺したそぶりは見せなかった。
「人聞き悪いなあ」
「答えろ!」
 手を離れた盃が、からから乾いた音を立てて板の上を転がった。
 木吉は変わらず、さして驚いた風もなく、太い眉を少し下げて笑うだけだった。
「だから、月見だってば。酒飲みながら月眺めて、のんびり話すんだ。楽しいじゃないか」
 苛立ちが増す。思わず、半妖は床板を叩いた。ミシ、と古い木が軋む。
「誤魔化すなよ、はっきり言え。逃げるもんか! っむしろ、いっそ――」
「まあまあ、落ち着けって」
 吐き散らすような願いを、鷹揚な声が遮った。拾い上げた盃を丁寧に拭い、そこにまた酒を注いで差し出してくる。眇めた琥珀色の瞳が、穏やかな光を湛えている。
 なぜだか、すとんと、荒ぶ感情が心のうちに収まった。
 本当に、奇妙な男だった。どうにも憎めない雰囲気に溢れていて、その声に従ってしまう。考えが読めないのに、それを危険視することができない。
 盃を、再度両手のうちに収める。水面で揺らぐ月に、ふ、と自嘲の笑みがこぼれた。
「……月なんて見て、楽しいか?」
 情けないくらいか細い声で呟く。木吉は、嬉しそうに頷いた。
「優しい感じがするだろ」
「どこが」
 間髪入れず吐いた否定じみた問いに、んー、とのんびりした声が返される。
 しかしそれとは裏腹に、内容は聞き流せないものだった。
「お前そっくりなところとか。あー、いや、お前がそっくりなのか」
 予期せぬ言葉に、はっと顔を上げる。まさか、と思うよりも先に、木吉がその顔に確信を刻む。
「『伊月』の人間だろ? 伊月俊、だっけ」
「……食えないやつだな、ほんと」
 何かしら事情は知っているのだろうと思っていたが、よもや家の名を出されるとは思っていなかった。思い当たる情報源は、一人しかいない。
「まあ分かっただろうが、日向順平から頼まれてきたんだ。助けてやってくれってな」
「やっぱりか……。おせっかいが治んないな、あいつ」
 不器用だけど優しい幼馴染の顔が浮かんで、つい苦笑してしまう。この数日、ずっと冷め切っていた心が、わずかに熱を帯びる。
 『伊月』と『日向』は、それぞれ古くより続く陰陽道の家系である。特に『伊月』は陰、『日向』は陽の性質を強く持っている。その名が示す通りに、月と太陽の性質を。
 そして通常、陰の気は女性を、陽の気は男性を示すものだ。それ故に両家は、それぞれ女児と男児しか出生しないという特色があった。
 伊月俊は、血筋として陰の気を引きつつも、性別として陽の気を持つ、極めて不安定で異質な存在だったのである。
 それでも家族は、姉や妹に向けるものと変わらない愛を注いでくれた。日向家の人々も、その誕生には驚いたそうだが、不安定な霊気を安定させるため、様々な協力をしてくれた。
 あたたかで、優しい毎日。
 それが永遠には続かないことを、たぶん、きっと、誰もが悟っていた。日に日に崩れていく足場を、俊は一番理解していた。
 時間切れ、なのだ。一週間ほど前、とうとうその均衡は瓦解した。
 霊気の乱れた人間は、妖怪となる――古い、伝承である。
 半分が妖怪と化した俊を見て絶句した順平は、悔しそうな面持ちで、山の奥へ逃げるよう告げた。家の人間を頼ることはできないのだ。こうなった以上、彼らは被害が出る前に退治することを選ぶだろう。
 当然だと、俊も思う。彼らは大人だ。社会への影響も大きい、旧家の人間なのだ。個人的な感情よりも、優先すべきことがある。
 だけど順平の言葉に従ってしまったのは、彼があまりにもつらそうな表情をしていたからだ。なんとかするから、と必死に言った彼の思いを、無下にはできなかった。
 そうして籠っていた山奥の廃屋に、こうやって今日、木吉が現れたのである。
「日向は何してる?」
「見張りつけられてるみたいだな。お前の姉さんと妹さんも。元気は元気だよ」
「そ、っか」
 心からの安堵に、息をついた。それだけが気がかりだったのだ。真っ先に疑われるのは、彼らだろうと思っていたから。
 表情を和ませる俊を見て、木吉の表情がすっと真剣みを増した。
「なあ」
 呼びかける声も、低く、とぼけたところがない。思わず、背筋が伸びた。
「お前は、生きたいか?」
 ――それは、ほかでもない自分自身が、何度も繰り返した問いかけだった。
 だから、答えはすぐに出た。
「……半分死にたくて、半分は、生きたい」
 ああ、だけど。ひとつ思い当たる節がある。
「でも今は死にたいから、妖怪の方が生きたがってたんだな。変なの」
「まだ生まれてもないからなあ、妖怪さんは」
 その言葉に、俊が顔をしかめる。生まれてもない、妖怪。それは決して、自分の知らない存在が憑りついたわけではない。むしろ、初めから自分の中にいたものだ。人間が誰しも持っている、暗い部分。おそらく本質と呼んでもいいのだろう。
 生きたい、という、幼子のような――いや、事実小さな子供の願い。結局それは、自分の願いでもあるのだ。
「さて、そうなるとお前の選択肢は二つ。ここで死ぬか――」
 そこで木吉はいったん言葉を切った。静かに息をついて、続ける。
「完全に、妖怪になって生きるか。……どうする?」
 俊は、即答できなかった。
 木吉が返事を待たずに立ち上がり、懐から小刀を取り出す。静謐。清涼。装飾は簡素だが、そんな表現の似合う美しい刀だった。
「これはまあ、いわゆる御神刀だな。妖怪を斬る。ただ、そこまで浸食されてれば、間違いなく人間としてのお前も死ぬ」
「だろうな。そもそも、今更人間に戻りたいなんて気はないよ」
「そりゃ話が早くていいや」
 そっけない返しに、木吉はくしゃりと笑った。
 そして、もう一本。
 腰の鞘からするりと抜き去った日本刀が、月光を情のない冷淡さで弾いた。凛とした白刃。狂気じみた気配。
「こっちは俺の愛刀だ。人の血が大好きでさ……最近はもう、妖怪なんて斬ってくれない」
 ぞっとするような迫力の長刀。月にかざしたそれを見る木吉の目つきも、先ほどとは人が違うように冷徹だった。口元に刻む笑みも、嘲笑的にすら見える。
「こいつなら、人間の部分だけ殺してくれるぞ。妖怪の生命力なら、そのあともなんとかなるだろ」
「……神主サマが、なんでそんな物騒なもん持ってんだよ」
「いやあ、成り行きで神主なんかやってるけど、もともとの俺はそういう人間じゃないからな」
 怪訝な顔で問えば、木吉はまた人のよさそうな笑顔に戻って頭をかいた。けれど、続ける内容がやはりそぐわない。
「この刀で、たくさん人も殺してきたよ。でも、なんだかんだあって町の連中は俺を受け入れてくれた。そんなみんなを守るために、慣れないことしてるんだ」
 そう言って浮かべる笑みは、ただとても、優しかった。
 町の人が彼を追い出さなかったのも、分かるような気がした。嘘のない人間なのだろう。何か企んでいるような雰囲気はあるが、心根がまっすぐで、どうしてか信じてみようという気にさせる、不思議な力がある。
「人殺しに居場所があるんだ。妖怪にだって、すぐにできるさ」
 なんなら、と、木吉は優しい笑みを深くした。
「お前が望むなら、俺が居場所になってやる。悪くない話だろ?」
「……ああ、そう、だな」
 負けだ、と思った。抗えない。ゆっくり、木吉が右手に持つ長刀に触れる。
 研ぎ澄まされた刃は、冷たい。そっと刃先に指を滑らせると、ぱっくりと裂けて鮮血が溢れ出た。けれどそれも、すぐに修復されていく。薄れていた声がする。死にたくないと。
「こっちで、いいんだな?」
 念を押す木吉に、俊は無言のまま首肯した。きっと、それで、いい。間違っていたなら、そのときまた選べばいい。
 だから、今は。
 心臓を深く抉られる感触がした。めまいがするような激痛。一瞬途切れた意識が、引き抜かれる動作に釣られて浮上した。がくりと崩れ落ちる体を、木吉が受け止める。
 次に襲ったのは、背中の皮膚を破る痛み。二枚目の翼に、神経が通うのが分かった。同時に、爆発的に生命力が取り戻されていく。
 どくどくと激しく心臓が脈打つ。呼吸が収まるころには、胸の傷は既に塞がっていた。血痕だけが、傷の存在を物語っている。
 支えてくれた木吉の腕を離れ、自立する。まだ少しおぼつかないが、意識ははっきりしていた。
 木吉がおおらかに微笑んだ。
「――生誕おめでとう、妖怪さん。これからよろしくな」
 武骨な手が、差し伸べられる。今しがた人を殺し、妖を産み落としたその手を。
 ふっと破顔し、腕を伸ばす。
「……ありがとう、木吉。よろしく」
 重ねた大きな掌は、温かかった。